こんにちは、ゆずです(*´ω`*)
今回は見守り編パート①。
わたしが不登校・寝たきり・引きこもり時代に、安心できなかった見守りをまとめていきます。
両親だけでなく、親戚、近所の人、先生など、自分のまわりにいたすべての大人に対する本音です。
お母さんお父さんにもいろんな事情や気持ちがあることを承知のうえで、この記事では子ども目線の気持ちを正直に書かせていただきますね。
見守り編パート②「ありがたかった見守り」はこちら。
- 見守りで悩んでいる
- 子どもの心を守りたい
そんなお母さんお父さん、不登校に関わりのある大人は、こちらの記事もお読みください。
ちょっと長いのですが、元不登校として伝えたいことをまとめました。
あと、この本は買っておいて損はないと思います。
親の影響は親が思っているより大きい
安心できなかった見守りの前に、ちょっとだけわたしの話を聞いてください。
わたしは不登校初期から安心できる環境にいました。
無理やり連れて行かれたり、叱られたりすることもなく。
受験のときも
- お金の関係でできれば公立にしてほしい
- 遠いけど大丈夫?
くらいしか言わない親。
過度な干渉もなかったと思います。
それでも、完全に不登校を認めてもらうまでは、家の居心地が悪かったです。
できるだけ親と顔を合わせたくなかったです。
たとえ親がなにも言わなくても、学校に行っていない自分は、それだけで罪悪感とか申し訳なさがありました。
- 親の顔色が気になる…
- 怒られたらどうしよう…
とビクビクしていた時期もあります。
後から聞いたところ、親は「体調大丈夫かな」くらいしか考えていなかったらしいのですが、小中学生時代のゆずちゃんにとって、大人は絶対的な権力者でした。
HSPの繊細な性格もあってか、とにかく落ち着かなかったです。
もちろん過干渉していれば、過剰に親を気遣ったり、期待に応えようと頑張ったりすることもあるかもしれません。
でも、それがなくても子どもは親が思っている以上に、
- 学校に行けない自分を責め
- 不安を抱え
- 親の発言や表情を気にしている
のだと思います。
自分の生殺与奪を握っている人は、どんなに優しくても絶対的な存在なんですよね。
あと、子どもは想像力や知識が不十分なので、受け取り方が歪んでしまうケースもあるでしょう。
例:親はただ疲れてため息を吐いただけなのに、子どもは自分のせいで機嫌が悪いと感じてしまう
親には親の気持ちや言い分があるはず。
ですが、「親の影響は親が思っているよりも大きい」とだけ知ってほしいなと思って、ここに書かせてもらいましたm(_ _)m
安心できなかった見守り
不登校時代のわたしの正直な気持ちを書いており、珍しく毒っぽい部分が多いです。
お母さんお父さんが読むと、心がジクジクする可能性もあるのでご注意ください。
超心配してくる
思春期のわたしにとって、親やまわりの大人の心配は重すぎました。
心配してアドバイスとか正論とかいろいろ言ってくるけど、
- そんなのこっちもわかってるから
- なんとかしようと思ってるから
- わたしはわたしなりに考えているから
なんか「心配」って信用されてないように感じてしまうんですよね。
とくに不登校が原因で泣く大人が意味わからなかったです。
わたしの両親ではないものの、親戚のSさんが
- ゆずちゃんが不登校なんて…
- せっかくいい高校に入ったのに…
- こんなになっちゃって…
とシクシク泣くタイプでした。
でもごめん。
なんであなたが泣いてるの?
泣きたいのはこっちだよ?
勝手に将来を悲観して、勝手にわたしの人生を背負って、なんか白けたのを覚えています。
100歩譲って、命に関わる病気とかならわかるけど…。
あのころのわたしにとって、同情は本気で気持ち悪かったです。
もし今、不登校が原因で泣いている大人がいたら、自分が働けなくなったときに自分の親が泣いているのを想像してみてほしいです。
・・・
息苦しくないですか。
一緒に泣くならわかるのですが、一方的に泣いているのはちょっとな〜と思っていました。
もちろんわたしのことを考えてくれる大人がいるのはありがたくて、感謝もしています。
でも、正直言うと、
その心配ってホントにわたしの心配なの?
って疑問を感じることも多い。
- あなたの価値観の押しつけじゃない?
- それってあなたの不安じゃない?
とにかく、「心配」=信じてもらえない感覚がありました。
追い詰められている気分にもなり、焦りや不安にもつながり、葛藤が絶えなかったです。
子どもが不登校になり元気をなくしていたら、心配するのは当然。
でも、子どもの前ではできるだけ”心配オーラ”を減らしてほしいと思っています。
ただ、”心配オーラ”を見せないのは、なかなか難しいんですよね…。
わたしの体験談の記事なので、アドバイスはいらないと思いますが、一応コツ的なものを載せておきます。
①心配し尽くす
時間や場所を決めて、心配を味わい尽くすことがおすすめです。
例えば、コメダ珈琲で、1時間、ひたすら泣いて、悩んで、心配して、そのままの気持ちを紙に書き出す…。
人間は飽きっぽいので、心配も集中して行うと、だんだん飽きてきます。
ある程度スッキリしたら、家に帰ればOK。
いつもより、いつも通りに対応できるかもしれません。
いくらでも心配していいから、心配オーラはできるだけ消す。
これがめちゃくちゃ大事でしょう。
中途半端に頭の片隅でモヤモヤグルグル考えるのだけは、なるべく控えたほうがいいと思います。
②ゲーム感覚で楽しむ
こういう状況を楽しむって言い方が適切かどうかはわかりません。
でも、
- 子どもの生きる力を感じられた
- 以前より成長したところ発見できた
- 今日もゲーム三昧だが、とりあえず生きていることに感謝できた
- 「なんだかんだ安心できるから、こうやって家にいるんだよな」と、いい環境をつくる自分を褒められた
- 余計なことを言わなかった
- 笑顔でただいま〜と言えた
こういうのを1ポイント、1ポイント、ゲーム感覚で積み上げて、自分にご褒美をあげてほしいんです。
ついつい余計なことを言いたくなったときも、このゲームやご褒美がチラつけば、一旦ストップできる。
落ち着いて客観的に見られるようになった結果、子どもや自分の成長した部分も感じられると思います。
ぜひ参考までに(*´-`)
- 心配で心配で仕方ない
- 心配なんてなくせるわけない
そんなあなたに、役立ちそうな記事を載せておきますね。
元気になってほしいオーラがある
親だったら子どもに元気になってほしいと思うのは当たり前。
でも、わたしはエネルギー不足のとき
- 「元気になってほしい」オーラ
- 「元気になったら◯◯しよう」「◯◯したいな」などの前向きな言葉
も圧力に感じていました。
早く元気にならなきゃ…とプレッシャーなんですよね。
だから、そういうオーラがプンプン出てる父と同じ空間にいるのが苦痛。
気をつかって余計なエネルギーを消費して、まったく元気になれませんでした。
これに対して、母は
何歳でも頑張って養うから!
ゆっくり休め!
て感じで安心できたんですよね。
ただただ、わたしの回復力を信じて待っててくれる姿勢が一番ホッとできました。
「だから言ったじゃん」と言われる
「だから言ったじゃん」
「だから言った通りでしょ」
これも心がズキズキする言葉でした。
「だから言ったじゃん」って言われると、すべてを否定された気がするし、失敗とかを伝えるのが怖かったです。
例えば、小学校時代。
「ゲームばっかりやってると目に悪いよ」
と言われ、それなりに気をつけてはいたものの、あるとき急に視力が落ちました。
でも、わたしは親に
「だから言ったじゃん」
と残念そうな顔をされたり、怒られたりするのが怖くてなかなか言い出せなかったです。
しばらくして伝えたところ、
なんで早く言わなかったの
とのお返事…。
親は怒ってるつもりはないんでしょうけど。
- ゲームのやりすぎか?
- なんかダメだったのか?
とずっとビクビク震えていました。
ただ、実際には、成長期で目が悪くなっていたらしいです。
病院の先生いわく、急すぎる成長期で眼軸が伸びた?とかなんとか。
「気をつけるのは大切だけど、遺伝要因も大きいから仕方ないよ」と言われて、ホッとしたのを覚えています。
親は子どもより人生経験があるので、わが子に対して
この選択をしたら失敗する可能性が高いぞ
よくない結果になる可能性が高いぞ
と思うときもあるはずです。
でも、最終的に人生の選択をするのは子ども自身。
親ができるのは、安心して失敗できる環境を用意することでしょう。
死ななければ何回失敗したってOK。
わたしは中学不登校歴があって、進学にあたっては
- もっと近くの学校
- 偏差値が低めの学校
- 通信制高校
などを勧められました。
でも、目標がある以上、そんなアドバイスまったく耳に入らない。
結局、目指していた全日制高校に行き、中退。
「だから言ったじゃん」と言いたくなりますが、実際にやってみる&失敗してみないと、本人は納得できないんですよね。
心配でも心配でも、
- この子なら大丈夫
- 上手くいくかもしれない
- 失敗してもいい経験になる
と信じて、見守ってもらえると嬉しかったです。
治療法を押しつけてくる
起立性調節障害などの心身症をどうにかしようと、治療法を押しつけてくるのが、なかなかウザかったです。
わたしは
- 起立性調節障害
- 過敏性腸症候群
などがありました。
先ほども登場した親戚Sは、
◯◯に専門の先生がいるらしいわよ
まだ行ってないの
早く行ったほうがいいわ
◯◯は身体に悪いから食べちゃダメよ
このサプリ飲んだほうがいい
◯◯で治るって本に書いてあったわ
ゲームばかりのそんな生活してたら、いつまでたっても治らないわよ
など怒涛のアドバイス。
説教じみてるうえ、早く学校に行ってほしい思いもスケスケ。
今のわたしの気持ちにはまったく寄り添ってくれない。
とにかく悲しくて、心の底から「残念」があふれてきました。
わたしが本当に求めているのは治療法じゃない。
とくに心身症なら、心と密接に関係しているので、ただ血圧を上げれば治るわけでもありません。
これに対して、母は
- 今はゆっくり休めばいいよ
- 学校はこんな選択肢もあるみたいだから
- 良さそうな漢方内科あるけど行ってみる?
- 整体が自律神経にいいらしいけどどう?
- 一応食事だけは気をつけてみよう
といった感じで、まずは寄り添い、わたしに選択させる声かけをしてくれました。
治療を押しつけてくることもありませんでした。
わたしの気持ちのペースに合わせて、一緒に考えてくれたのも嬉しかったです。
ときには「あの病院行ってみようかな」と伝えたあと、すぐに予約をとって
「◯月◯日ね!」
と言われることもありました。当時は展開が急すぎてウザって思いました。
でも、それくらい行動力がないと、あの日々を抜け出せなかったので、今となっては感謝しています。
大人の自己満足で応援される
不登校になったとき、心が疲れているときって
- 無理しないこと
- しっかり休むこと
- 早めにセーブすること
- 心の声に耳を傾けること
が重要。
なのに、
「もっとできる」
「もうちょっと頑張ってみない」
「あと1時間、頑張ろうか」
と言われ続けると、なかなか元気になりませんでした。
30分と決めていたのに早退させてくれないので、学校との関係や先生との関係もこじらせてしまいました。
やればできるんだよ〜
こんなに頑張れたんですよ
と勝手に喜び、自己満足な大人の顔。一生忘れません。
こっちはめっちゃ無理してんだけど?
裏切られたんだけど?
という気持ちでした。
小さいうちはとくに、
- 頑張ると大人は喜んでくれるんだな
- もっと期待に応えなきゃな
と、今まで以上に罪悪感を抱えて、胃がキュッと締めつけられたことも…。
もちろん回復過程では少しずつ負荷をかけることが必要です。
でも、それは本人のペースを尊重してはじめて成り立つもの。
今回できたから、明日もできるわけじゃない。
普通にできているように見えても、もしかしたらめっちゃ無理しているのかもしれない。
大人にはこの視点を忘れずにいてもらいたかったです。
頑張ったから、できたから、って調子に乗らないでほしかったです。
学校や将来、同級生の話をされる
学校や将来、同級生などの話をされると、心がズキズキ・チクチク、急所をナイフで突き刺されるように苦しかったです。
不登校になると劣等感があり、ちょっとしたことでも気になります。
学校のこととか、行事とか、友だちの話とか。
なにげない話でも、わけもわからず傷ついたりします。
例えば、修学旅行の行き先が「京都」で、その修学旅行に行けなかったとき。
しばらくは「京都」に関することを聞いただけでモヤモヤしていました。
あと、親と話していると、
- 学校に行ったほうがいい
- 学校に行きなさい
- 将来どうする?
って聞かれるのが怖かったです。
学校に行ったほうがいいし、将来を考えなきゃいけないのもわかってる。
でも、今はまだ現実に向き合うほど心が元気じゃない。
もうちょっと待ってほしい…そんな気持ちでした。
学校のことを考えると、自分を追い詰めて、不安になってしまう。
同級生の話をされると、学校に行けない自分を強く意識してしまう。
なので、不登校で見守っているとき、とくに不登校初期はできるだけ学校・将来・同級生などの話を遠ざけてほしかったです。
ただ、
- あと◯日で留年
- ◯日までに手続きしないといけない
- 春休みの宿題がある
など、事務的な連絡は淡々と伝えてもらったほうがよかったです。
言われたときはキツイのですが、親だけで決めてしまう・隠してしまうと、あとから
なんで言ってくれなかったの…
と恨みや後悔の原因になるので…。
でも、わたしの場合、そういうイヤな連絡は1回で十分だったかな。
やっぱり負担になるから。
- 補習の日程だったら最初に1回
- 夏休みの宿題だったら終業式の日に1回
そのあとに追加の補習があったとしても、もう言わなくていい。
1回目の連絡で音沙汰がない、返事ができない、行動に移せないなら、それだけ限界の状態なので。
家の空気が凍りついている
やっぱり、家族仲が悪かったり、家庭の雰囲気が悪かったりするのは、胸がえぐられるくらいキツイです。
「自分のせいで家族が苦しんでいる…」
と思うと、自分の存在価値に悩み、罪悪感を抱き、絶望してしまいました。
うちはそこまで酷くなかったけど、それでもあの凍りついた空気は、思い出しただけで溺れたように息が苦しくなります。
ただ、家族仲はこれを読んでいるあなた一人の力ではどうしようもできませんよね…。
不登校についてまったく学ぼうとしない人、絶対に価値観が変わらない人は一定数います。
家庭の雰囲気はよくできなくても、せめて
- 専門家と協力する
- 一緒にいる時間を減らす
- 母(父)だけでも楽しく生活する
- 余裕をなくさないように意識する
- 母(父)が趣味に没頭する
などなど。
大変なのは承知ですが、こういった工夫で、子どもの居心地がよくなるかもしれません。
うちの場合、父はとくに何も言ってこないけど、一緒にいると疲れる。
だから、副業を始めて、家にいる時間を減らしてもらいました。
収入が増えて、家庭の平和も保たれて、一石二鳥です。
言葉だけを受け取り否定される
子どもの言葉や表面的な行動だけを受け取るのは、一番最悪というか、信頼関係が崩れる原因だったと思います。
うちの母はわたしに寄り添ってくれたので平気でしたが、大人の多くはこんな感じ。
- ゲームしてると、ゲームばかりは良くない
- 昼夜逆転だと、早く寝なさい
- 「めんどくさい」と言えば、人生舐めてる
- 「死にたい」と言えば、なんてことを、そんなこと言うんじゃない
- 「やっぱり行けない」と言えば、行くって言ったよね、嘘つき
話すたび否定・説教・価値観の押しつけ…。
この積み重ねが、子どもをボロボロにしていきます。
実際にわたしも小中高時代、たくさんの大人にこの攻撃を喰らいました。
「面倒くさい」って本当にめんどくさいのではなく、SOSサインのことが多いんですよね…。
ここに書くと長くなってしまうので、詳しくは別の記事にまとめてあります。
一度は読んでいただけるとありがたいです。
後悔ばかりしている
うちの母はよく
もっと早く気づいてあげられたら…
と言っていました。
たしかにもう少し早く気がついてたら、何かが変わったかもしれません。
でも、そんなの仕方ないじゃん。
- そう簡単に気がつけるものでもないし
- そんなこと言われても負担になるだけ
- 過ぎてしまった時間は、戻せないんだから
- 後悔じゃなく反省して、次に活かしてよ
母に直接言ったことはないけど、心のなかではこう思っていました。
世の中のお母さんお父さんも
「あーすればよかった」
「こうすればよかった」
など後悔がたくさんあると思います。
バッテリーの作者あさのあつこさんも、
人生でナンバーワンの失敗は「次男が中学生で不登校になったときの一言」だと語っています。
必死で学校に行かせることも叶わず、
「お母さんは、あなたに学校で一番になれとか、そんなこと一言も言ってないでしょ?
みんなが普通にやれることを普通にやってって言ってるだけなのに、どうしてできないの?」
と…。
あさのさんは当時について、こう振り返っています。
「もう、本当に当時の自分、死刑っていうか、撃たれてもしょうがないと思います。でも、その時は真っ当なことを言っていると思い込んでいました。あれはものすごい汚点ですね。本当に恥ずかしい。巻き戻せるなら、『学校に行きたくない』って言われた時点でもっと違うやり方があったなと思います」
出典:雨宮 処凛『生きのびるための失敗入門 第1章 失敗や挫折は一生の仕事のエネルギー』河出書房新社
「とにかく人間関係に疲れていたみたいなので、何も言わないでしばらくは行かなくていい、休めるだけ休みなさいって伝えるべきだったと思います。その上で、フリースクールとか調べたかな。でも、人口数万人の小さな町で学校に行かないって、すごく目立つんです。だから、子どものことを考えていたんじゃなくて、自分がもう町に出られないって、そっちの方でパニックになっていたんだと思う。元に戻れるなら、子どものことを考えたい。遅いですけど、そう思います。大人はなかなか、子どもにとって何が一番幸せかっていうところから出発できないんだと思います」
出典:雨宮 処凛『生きのびるための失敗入門 第1章 失敗や挫折は一生の仕事のエネルギー』河出書房新社
共感できるお母さんも多いのではないでしょうか。
まずは
- もっと早く寄り添っていれば
- あのとき無理やり行かせなければ
- 後悔ばかりしてしまう
- ずっとグルグル考えてしまう
- うまく反省できない
などありのままの気持ちを受け止める。
それからゆっくりと、時間はかかってもいいので、少しずつ未来に目を向けてもらえればと思っています。
自己受容については、こちらの記事にまとめました。
よかったらご覧ください。
まとめ:安心できなかった見守り
今回は、居心地が悪かった・安心できなかった見守りについてまとめてきました。
少々毒っぽい部分もあり、申し訳ありません。
不登校になって見守りしているとき、
「言わない」
「やらない」
のが不安になると思います。
今まで当たり前にやってきたことができない子どもを見ているのも、無力な自分にも、もどかしくなりますよね。
「待つこと」「見守ること」はすごく難しい。
信じられないくらい多くのエネルギーを必要とします。
アドバイスや指示をするほうがよっぽどラクでしょう。
不安になったり、焦ったり、モヤモヤしたりするのも当然です。
でも、この「待つこと」「見守ること」こそが親の大切な役目。
引きこもりが専門の斎藤環先生も、以下のように書かれていますよ。
希望を捨てずに待つという姿勢は、それ自体が本人に好ましい影響をもたらします。「待つ」ということはまた、冷静に構えるということでもあります。本人の言動や、わずかな状態の変化に一喜一憂せず、長期的展望を持ってどっしりと構えること。
出典:斎藤環「改訂版 社会的ひきこもり 」(2020)PHP研究所 p.140
ひきこもりをはじめとする思春期の問題に対しては、「周囲がどれだけ待つことができるか」が、その後の経過を大きく左右します。したがって家族の基本的な構えとしては、「本人の人格的な成熟を、ゆっくり伴走しながら待ち続ける」ことが必要となります。「焦り」は何ももたらしません。むしろ、慢性的な焦りこそが「ひきこもりシステム」を強化してしまいます。
出典:斎藤環「改訂版 社会的ひきこもり 」(2020)PHP研究所 p.140
もちろん、ただ待てばよいというものでもありません。変化を待ち受けつつも、水面下での絶え間ない努力が必要です。家族間の意見調整や、家族だけの治療相談なども欠かせません。そして同時に、本人が症状を通じて何を訴えようとしているかを、しっかりとみきわめることです。いたずらな干渉をひかえて、暖かく見守り続ける姿勢が大切なのです。
出典:斎藤環「改訂版 社会的ひきこもり 」(2020)PHP研究所 p.141
- 自分は見守りが下手くそ…
- 子育てに向いていない…
と感じる方もいるかもしれません。
でも、わたしから言わせてもらえば、この記事を訪れたことが、子どもを思っている証拠。
あなたが考えているより、あなたは頑張ってるし、元不登校の立場からして、親がこういった場所で学ぼうとしてくれるのはそれだけで本当に嬉しいです。
焦らずゆっくりいきましょうね。
以上わたしの体験談でした(*´-`)
思い出したらまた追記していきます。
見守り編パート②「ありがたかった見守り」はこちら。
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もし「役に立ったな〜」と感じたら、支援をしていただけると頑張れます(*´-`)
サーバー代などちょっと赤字気味なので、おうち部を継続するためにも、よろしくお願いします。
【追記】
ありがたいことにたくさんの励ましの声をいただいており、なんとか記事作成を継続できています!
今回フォロワーさんからの意見を参考に「Amazonほしいものリスト」を作成してみました。
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