ちょっとだけ、Tさんの話を聞いてください。
わたし(T)は子どもが不登校になってから、
- 怠けてるだけじゃない?
- お母さん甘やかしすぎだよ
- このままじゃ将来苦労するよ
こんな言葉を耳にタコができるほど聞かされた。
正直、そんなこと言われなくてもわかってる。
お母さんも最初はそう思っていたし、今だって甘やかしすぎじゃないか不安。
でも、あそこまで学校に行きたがらないわが子をみると、無理はさせたくない。
不登校の対応について調べてみても、無理やり行かせないことが大切だと書いてあるし。
だから、それなりの覚悟で休ませてる。
そうは言っても、自分の親から「甘やかしすぎじゃない?」と言われたり、一日中ゲームばかりの子どもを見ていたりすると、
怠けてるだけじゃないか…
こんな生活していて将来やっていけるのかな…
逃げてばかりで大丈夫なの…
こんな気持ちでいっぱいいっぱい。
不安や焦りから、ついつい余計なことを言ってしまった…。
そのせいで、今日は部屋から出てこない…。
この話は、たくさんのお母さんお父さんが経験していることだと思います。
不登校にとって「甘えだ」「怠けだ」は鋭利な刃物と同じ。
不登校は甘えているという言葉に苦しんでいる家庭は多いでしょう。
そこで、この記事では
- 元不登校のわたしの本音
- 一番大切なこと
- 甘やかしとの違い
- 甘え依存型の対応方法
をまとめました。
むさぼるように学んだ専門知識をもとにあれこれ書いた結果、胃もたれする量になってしまいすみません。
「甘えではないか?」と不安なママパパはもちろん、身近に不登校がいて「甘えじゃないか?」と疑っているあなたにも読んでいただけると嬉しいです。
- 不登校は甘えじゃない
- 甘えることも悪いことじゃない
- 学校に行けなくなった背景に目を向けることが大切
- まずは安心できる環境と信頼関係
- ただし甘やかしにならないように注意
結論:不登校は甘えじゃない
結論からいうと、不登校は甘えじゃありません。
不登校には
- 神経質型タイプ
- 甘え依存型タイプ
- 母子分離不安型タイプ
- 無気力型タイプ
などありますが、いずれにしても学校に行けないのはSOSサインです。
不登校はほとんどの場合、日頃の小さなストレス・緊張・不安が限界を超えることで起こります。
それらの負荷は目に見えないほど小さいので、積み重なっている感覚、限界を超えている感覚がありません。
でも、心はいっぱいいっぱい。
脳は「もう限界」と危険信号を出しており、からだが動かなくなってしまいます。
子どもによっては
「面倒くさい」「だるいから」
と言うこともあるでしょう。
しかしこれも、大人が想像するような怠けではありません。
それどころか
- 悩んでる
- そばにいてほしい
- 困ってる
- 助けて
など、心のSOSである可能性が高いです。
ですが、うまく言葉にできないし、知識も少ないし、自分のことを客観的に説明できるわけでもないので、
甘えているのか?
と疑いたくなる状況が生まれます。
本人だって元気になりたい、できればこの状態から脱出したい。
でも、どうしたらいいか分からないし、自分の力ではどうしようもできないから逃げている。
他人のせいにしたり、文句ばかり言ったり、一丁前に意見を言ったりしている。
これが不登校です。
このままじゃいけないことは本人が一番よくわかってるんですよね。
親からすれば、
- みんなは学校に行けているのに…
- なんでうちの子だけ…
と思うでしょう。
しかし、生まれ持った脳の特性やストレスの感じ方、頑張れるキャパは人それぞれ違います。
もちろん社会で生きていくためには、頑張ること・我慢すること・辛いことを乗り越える力が必要です。
ただそれは、その子にあった環境や関わり方、その子のペースで身につけていけばいい。
「逃げちゃダメだ」
「社会はもっと厳しい」
「ラクなほうに流れるな」
「みんな大変なんだよ」
「わたしだって頑張ってきた」
と言いたくなる気持ちもわかりますが、それを言ったところで根本的な問題はなにも解決しないんですよね。
精神疾患になるか、非行に走るか、大人になって不都合が生じるか、別のタイミングで引きこもりになるか…。
「甘えるな」と怒って、子どもが元気になることはないでしょう。
子どもに本気で生きる力を身につけてほしいと思うなら、不登校を「甘えだ」「怠けだ」と一蹴するのはNG。
どうして学校に行けなくなったのか、その背景に目を向けたうえで、心の状態や気質・体質などと向き合う。
不登校になる子は、もともとのタイプや育った環境により、
- 繊細、敏感
- 感受性が高い
- 考えすぎる
- 根が真面目
- 完璧主義
- つねに不安
- 失敗への恐怖が強い
- プライドが高い
- IQが高いor低い
などの特徴をもっていることが多いです(もちろん当てはまらないケースもありますが)。
それゆえに学校がキツくなるというか、逃げてしまうというか。
これらは決して本人が悪いわけでも親の育て方が悪いわけでもなく、
生まれもった傾向と色んなできごとの積み重ねによる偶然の産物だと思います。
なので、誰かを責めるわけじゃありません。
でも、このままじゃ生きづらいので、
- 安心できる環境を整える
- 親子の信頼関係を築く
- 生きるコツを身につける
- ストレス対処法を身につける
- 自分に合った環境を模索する
などの対応が大切になってきます。
どうして学校に行けないのか?
そのヒントになるかもしれない不登校の原因(要因)は、こちらの記事にまとめています。
ぜひ参考にしてください。
そもそも甘えることは悪いこと?
そもそも甘えることは悪いことではありません。
もし不登校が「甘え」とか「逃げ」だとして、それのなにが悪いのって思っています。
甘えられるときは甘えたっていい。
心と身体を守るために、ストレスを感じる場所から逃げるのも当然。
「大人になったら逃げられない」
「根性が必要」
とも言われるでしょう。
でも、わたしの不登校仲間はみんな社会復帰しています。
経験してわかりましたが、大事なのは学校に行く根性よりも、
- 安心した環境と信頼関係のもとで
- 自分の気質や体質を知ったり
- ストレスを減らす考え方を身につけたり
すること。
そして、自分のキャパの範囲内で頑張ること。
そうしたら、気質や体質はなかなか変わらないけど、ほどよく一般レールに戻りつつ、ほどよく自分なりに生きられています。
というか、大人は甘えられないっていうのも「ほんとかな?」て思います。
おそらく「甘えちゃダメだ」って思い込んでいるだけ。
本当に自立した人こそ、ほどよく人を頼ったり、キツイときは甘えたりできるのではないかと感じています。
人間は完璧じゃないし一人では生きていけませんからね。
また、臨床心理学者の河合隼雄先生は、甘えん坊で「自立できないのでは」と心配している親に対して、
十分に甘えさせてやったら、ちゃんと自立していきます。
出典:河合隼雄『こころの子育て』p.82 朝日新聞出版
と答えています。
自立させなければ、と思うあまりに子どもの能力を超えて自立を強いてしまう。
それでは子どもがかわいそうです。
自立っていうのは、子どもが「自分で立っていく」ことなんだから、子どもがひっついてくるうちは、いくらでも甘えさせていたらいいんですよ。
出典:河合隼雄『こころの子育て』p.82 朝日新聞出版
目標は「いくらでもよりかかってきていいし、いつ出ていってもいい」という姿勢で子どもを見守り、サポートしてあげること。
不登校はたしかに大変ですが、
親に頼れるうちに甘えてくれてよかった!
子どもと向き合うチャンスがあってよかった!
こうやって、少しだけ考え方を変えてもらえると嬉しく思います。
安心できる環境と信頼関係が命
先ほども言いましたが、不登校は「甘えだ」「怠けだ」と怒ってどうにかなる問題ではありません。
では、どうしたらいいか?
不登校に限らず、引きこもりや非行に走った人が社会とのつながりを取り戻すためには、「安心できる環境」と「信頼関係」が命です。
花が咲くためには土が必要なように、子どもが元気に成長していくためにはこの2つが必須。
すべての土台になります。
安心できる環境とは?
安心できる環境といっても、感じ方は人それぞれ。
一概に「これっ!」とは説明できませんが、一般的には以下のような環境を指します。
- 学校に行けと叱られない
- 甘えだと疑われない
- ありのままの自分を認めてくれる
- 共感してくれる
- 寄り添ってくれる
- ダメな自分でも見捨てないでくれる
- 居心地がいい
- いつも通りに接してくれる
安心できる環境は、エネルギーチャージしたり、療養したり、信頼関係を構築したりするために欠かせません。
子どもが不登校になると、
「甘えなのか?」
「このままで大丈夫なのか?」
と焦りや不安で押しつぶされそうになると思います。
しかしながら、不登校は甘えではないし、安心できる環境はすべての土台。
マズローの欲求5段階説を見ても、安全・安心が満たされていないと、その上にある所属(学校)にはいけないことがわかります。
なんと言われようと、安心・安全が第一。
まずは、子どもに寄り添い、あたたかく見守っていただけるとありがたいです。
できるだけ、いつも通りの対応をお願いします。
よく家庭の居心地がいいから不登校になると言われますが、それは嘘です。
学校に居場所がなくなった子から家まで奪ったら、学校と家以外のところに行くだけ。
行き着く先は、多くの場合「トー横キッズ」と同じです。
決して学校に向かうわけではありません。
家だけは居心地のいい場所でいいんですよ。
信頼関係を構築するには?
安心できる環境にも関わりますが、味方になってくれる人の存在は大きな安心感となります。
不安でいっぱいのとき、一歩踏み出す勇気にもなるはずです。
人間不信になってしまった人が、再び心の扉を開くためには、とてつもない時間と労力を要します。
ときにはイライラしたり、嫌になったり、もう関わりたくないと思うこともあるでしょう。
ただし、実際には親が「もう無理」と感じる子どもほど、大きな支えを必要としています。
生まなきゃよかった、可愛くないと思ってしまう子どもほど、ヘルプを求めています。
第三者の手を借りながら、猫の手も借りながら、根気強く関わっていくことが大切です。
困ったときは、「頼るなんてできない」とブレーキをかけず、きちんと第三者を頼りましょう。
親子の信頼関係を築くヒントは、こちらの記事をご覧ください。
回復スピードに大きく関わるかもしれないので、一度は目を通しておく価値があると思います。
参考になるかもしれない相談先については、こちらの記事をお読みください。
2つの土台を整え、適切なサポートを
この2つの土台を整えたうえで、子どもに合わせたサポートをしていきましょう。
不登校になる子どもは、HSPや発達障害などの特性がある場合も多いです。
親としては
「ありのままのあなたでいい」
「無理しなくていい」
と思うかもしれません。
しかし、本人は
普通のルートに戻りたい
みんなと同じがいい
と考えているもの。
頑張らせないのではなく、安心感や信頼関係のもと、本人ができる範囲で頑張りを積み重ねていくことが重要です。
まずは、気質や体質を一生つきあっていくものだと受け入れたうえで、
- 得意なこと
- 苦手なこと
- できるけどキツいこと
これらをまわりの大人と本人が一緒になって、理解していくことが求められるでしょう。
家庭・学校・病院・カウンセラー等が連携しながら、よりよい学習環境を整えたり、本人が社会で生きていく力を身につけたりすることも大切です。
きっかけ作りに役立つかもしれない情報は、以下の記事にまとめています。
あとで読めるようにブックマークしておくといいかもしれません。
「甘え」と「甘やかし」の違い
不登校が甘えじゃないことはわかった。
でも、見守りってなに?
これは甘やかしじゃない?
と心配になる人も多いでしょう。
結論からいうと、「甘え」と「甘やかし」はまったく異なります。
これを間違えると、親子関係をこじらせたり、引きこもり状態を長引かせたりする可能性も…。
以下では、「過干渉」と「注意」についてまとめました。
過干渉
河合隼雄先生は、「甘え」と「甘やかし」の違いについて、以下のように述べています。
子どもが甘えてきたときに、甘えさせるのはいいんです。
子どもが甘えたいという気持ちを、受け入れてやっているんだから。
ところが甘やかすというのは、甘えさせるのと違って、「なんでもかんでも、親の私にベタベタしてたらよろしい」という姿勢なんです。
いいも悪いもない。
相手が何を考えているだろうかという判断が完全に抜けてしまってる。
育てるということは、あたたかい目で見守ることが必要なんです。
出典:河合隼雄『こころの子育て』p.83-84 朝日新聞出版
それと、甘やかす方はどうしても「自分」が何かしてやろう、という気持ちが強くなってきます。
「この子のために私はなんでも買ってあげよう」「この子のためならばおれはなんでもしよう」と、自分が中心になってきて、相手の人間はだんだん消えていく。
だから、下手すると、本人は一生懸命なんだけど、子どもの側から言うと、親が押しつけてくる感じがするんです。
出典:河合隼雄『こころの子育て』p.84 朝日新聞出版
過干渉は自立を妨げます。
本当にこれでいいの?と感じるはずですが、かなり控えめな関わりで大丈夫です。
しかし、子どものほうから頼んできたときは別。
「ジュースとって」
「お菓子ちょうだい」
など「◯◯して」とお願いされたときは、「自分でやりなさい」と怒らずに、受け入れてあげることも必要だと思います。
子どもは知識や判断力が不十分なので、情報提供や声かけは必須。
見守りが大事だからといって、すべてを子ども任せにするのはNGでお願いします。
親の安心のためではなく、子どものために声かけをし、最終的な判断は本人に任せることが大切でしょう。
学校の宿題やイベント、留年のことなど、事務的な連絡もしたほうがいいと思います。
嫌がろうと、イライラしようと、それをどうするかは子どもの問題です(課題の分離)。
ただ、あまりにも子どもが苦しんでいたり、自傷行為をしていたりする場合は、事務的連絡も控えめにしたほうがいいと思いますが…。
言いたいことがあるときはアイメッセージ(お母さんはこう思う)やお願いのかたちで、意見を伝えてみるのがいいですね。
注意
家庭のルールに反するとき、よくないことをしたときは、きちんと叱るべきでしょう。
欲しいからといってなんでも買ってあげるわけではないし、夜中に大声を出したら注意も必要です。
今まで過干渉な親だったら少しは寛大さも求められますが、ダメなことはダメと伝えること。
あまりにも舐めた発言、許されない態度をしたら、指摘をしたり、親の威厳を示したりすることも求められます。
イライラして怒鳴るのではなく、子どものためを思って注意してあげてください。
たしかに叱られたときは、心が傷ついたり、癇癪を起こしたりするかもしれません。
それでも、ご飯の時間になったら「ご飯だよ〜」と呼んでくれるお母さん、
「◯◯の好きなお菓子買ってきたよ〜」「一緒に食べよ〜」と声をかけてくれるお父さん。
お母さんお父さんはいつもぼく(わたし)のことを見捨てないでいてくれる、大切にしてくれている。
このような経験の積み重ねが、安心や信頼につながっていくと思います。
甘え依存型タイプについて
「甘え依存型タイプ」の不登校について解説していきます。
不登校のなかには、明らかに舐めてんのかとイライラするようなタイプの子も。
甘えているようにしか見えない…
ラクなほうへ逃げてばかりな気がする…
そんなお母さんお父さんは、絶対に読んでください。
甘え依存型タイプの特徴
- 休んでいることに違和感がない
- 罪悪感が少ない
- 五月雨登校が続く
- 行事や楽しい授業は行ける
- 放課後や休日は友達と遊べる
- 引きこもりにはならない
- ゲームをしているときだけ機嫌がいい
- 人のせいにする
- 文句ばかり言う
- 元々の性格がマイペース
- 嫌なことがあると逃げがち
甘え依存型タイプの対応方法
甘え依存型タイプは、一見すると、わがままで自分勝手でしょう。
こんな調子なので、家族や先生からはサボっている甘えていると思われ、なかなか共感されません。
元気そうですし、落ち込む不登校に比べて回復は早そうに感じます。
しかし、実際はこちらのタイプも同じくらい深刻です。
このタイプは、自分が意識しないところで失敗を強く恐れていたりします。
さらに、自分と向き合う力がないために現実逃避ばかり。
人のせいにする態度について、池田久剛先生は、
その自我の強さが育っていないために、失敗を恐れ、些細な指摘を侮辱されたと被害的に受け止めやすく、他罰的な怒りが生じやすいのだと考えられます。
出典:池田久剛(2021)「不登校の理解と支援 4つの視点によるアプローチ」金子書房 p.69
と書かれています。
また、楽観的に見えて、実は打たれ弱い部分については、
恐らく、本来は自我が年齢不相応に未熟で弱いために、尊大に見える仮の自分の殻を作り、自我が傷つかないように守ろうとしているのではないかと思います。
出典:池田久剛(2021)「不登校の理解と支援 4つの視点によるアプローチ」金子書房 p.68
と指摘されています。
未熟な自分を守るために、仮の自分という殻をつくっている状態ですね。
そして、原因については、
発達の過程において必要な共感的関わりを、十分得ることができなかったのではないか
出典:池田久剛(2021)「不登校の理解と支援 4つの視点によるアプローチ」金子書房 p.68
と考えられています。
- 今まで共感されなかったら、共感されないような尊大な態度をとる…
- その態度のせいでまた共感されない…
この悪循環。
親はたっぷり愛情を注いできたつもりでも、子どもが求めている愛情とマッチしていなかったり、子どもの受け皿がザルだったりすると、未熟な心になることが多いです。
よくあるのが「過干渉」。
子どもを否定し、親のやってほしいことを押しつけてきた結果、愛情が伝わっていない場合ですね。
このタイプと関わっていくのは、正直イライラするでしょう。
でも、このような態度に悪意はありません。
励まし、共感してほしいときに、そうしてもらえなかったことは辛かったはず。
今からでも、親子の信頼関係のもとに自我を成長させていくことが必要ではないかと考えます。
第三者を交えて、積極的に関わっていくことも大切かもしれません。
ゲームばかりのわが子を「甘えだ」「サボりだ」と一蹴するのではなく、親子で一緒にゲームをやって雑談したり共感したりすることが求められるでしょう。
興味のあることから少しずつ成功体験を積み重ねていくこと、失敗しても大丈夫だという感覚をつかむことも必要です。
まずは安心できる環境をつくり、信頼関係を築き、伴走者として根気強く関わってもらえたら嬉しく思います。
甘えだと言われて苦しいあなたへ
無理させないように学校を休ませると、まわりからは「過保護」とか「甘やかしすぎ」とか理解のない言葉がポンポン飛んできます。
しかし、お母さんお父さんだって、みんなと一緒に学校に行けないのは心配なはず。
最初は学校に行くように強く言ったり、無理やり連れて行ったりもした。
でもそれが難しくなってきたから、悩んだ末に今の対応にいきついた。
子どもが家でゴロゴロしているのは、お母さんお父さんがわが子のことを一番に考えた結果でしょう。
もちろん他人の意見はそれなりに尊重するべきです。
ただ、自分のすべてを他人が知っているわけではないし、正しいとも限りません。
ましてや従う理由もありません。うちの子はうちの子。
不登校は甘えじゃない!まずは安心できる環境と信頼関係を大切に
- どのタイプでも不登校は甘えじゃない
- 甘えることも悪いことじゃない
- 親に甘えられること、子育てに手がかかることは、長い目で見たら大切
- 不登校は親子関係や本人の特性・気質・体質に向き合うチャンス
- まずは安心できる環境と信頼関係
- 2つの土台を整え、適切なサポートを
- 甘えと甘やかしは異なる
- 過干渉はNG、注意するべきことはきちんと注意する
- 甘え依存型タイプは積極的な関わりを
- あなたはあなたの子どもの親でいればOK
- 他人との間に境界線を引こう
最後にパナソニックグループの創業者、松下幸之助さんの「道」を載せておきます。
道
自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。広い時もある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。なぐさめを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩めねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。
松下幸之助(1968)「道をひらく」株式会社PHP研究所 p.10-11
Amazonのオーディオブックを使えば、今すぐ「道をひらく」を聴けますよ。
この記事が少しでもあなたのお役に立てれば嬉しいです。最後までご覧いただきありがとうございました。
当サイトでは他にも、わたしが絶望していた時代に「これ知りたかった!」と思う情報をまとめています。
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