不登校になりやすい家庭ってあるの?
うちの子が不登校になったのは親のせいなの?親が悪いの?
愛情不足とか言われたんだけど…
Googleで検索していたときに見つけた
「不登校になりやすい家庭」
というワード。
少し記事を読んでみると「家庭環境が影響」とか「親に共通点」とか書いてある。
これらの言葉にグサっとくるお母さんお父さんも多いでしょう。
今回は元不登校のわたしが不登校になりやすい家庭・特徴・共通点について思うことをまとめました。
結論からいうと、不登校はいつでも誰でも起こりうること。
すべての家庭に共通することなんてない。
家庭環境が悪いから不登校になるわけでもありません。これは絶対。
そもそも聞く耳をもたない親だったら、この記事にもたどり着いていないので。
- 不登校は親のせいではない
- 不登校は複数の要因が複雑に絡み合って生じる
- 原因探しより子どもの様子を丁寧にとらえることが大切
- ただし元気になる過程では親の影響大
- エネルギー回復には安心感や信頼関係
- 誰かを責めるのはやめたほうがいい
結論:不登校は親のせいではない
これだけは断言できますが、
- 虐待やそれに近い状況
- 夫婦喧嘩ばかり
- 子どもに暴言をかけ続ける
- 子どもに愚痴を言いまくる
- 成果主義でプロセスを一切褒めない
など相当ひどい家庭環境ではない限り、親が不登校の直接の原因ということはありません。
世間では親のせいだの家庭環境のせいだの、散々言われていますが、
- 教師の子どもも精神科医の子どもも不登校になっていること
- 超過干渉でヤバい家庭でも元気に学校に行っている子はいること
- 同じように育てていても兄弟でまったく性格が違うこと
を考えると、親のせい・家庭のせいとはいえないでしょう。
本当にひどい家庭環境だったら不登校どころではなく、自◯・トー横キッズ・家出・非行・絶縁です。
もちろん「親が関係ない」とまではいえませんが、
発達過程でトラウマを経験したり、
自律神経の調整機能がうまく育っていなかったり、
外部の影響もあるので子育てが原因とも言い切れない。
たまに兄弟全員が不登校になることもあります。
兄弟全員だから親のせいでは…?
と思うかもしれませんが、これは上の子の不登校を認めて
「学校に行くべき」
という家庭の規範が薄まった結果、ダラダラと続いてしまう状況なんですよね。
あとは遺伝的に全員自律神経が弱いとか。
不登校はほとんどの場合、以下の要因が複雑に関係して起こります⬇︎
- 本人の性格、気質
- 遺伝的な体質
- 認知や思考の癖
- 思春期特有の自己意識や劣等感
- 精神の未熟さ
- 分離不安
- 過剰適応
- 自律神経やホルモンバランスの乱れ
- 身体疾患
- 精神疾患
- 発達障害
- 学業不振
- 友人関係
- 教員とのトラブル
- 環境変化による不適応
- 校則や規則をめぐる問題
- 過干渉
- 家庭内不和
- 金銭的問題
- 親の病気
- 親の介護
- 離婚、再婚
- 学校システム
- 社会の空気感
- 社会情勢
不登校の原因がわかって解決できたらラクですが、実際のところ
「これが原因!」
「誰が悪い!」
と一つに絞れるものではありません。
まずは、不登校の原因はハッキリとわからないことがほとんどだと頭に入れておくこと。
そして、学校に行っていたときの様子を丁寧にとらえること。
不登校になった子どもでも、学校に行っていた時間があるはずです。
原因探しではなくて、
- その子にとって学校生活がどんな意味や価値を持っていたのか
- どんなストレスを感じていたのか
などを理解することがこれからにつながりますよ。
不登校の原因の詳細はこちらの記事をどうぞ⬇︎
ただし元気になる過程では親の影響大
不登校は親のせいというより、気質や体質など本人の生まれもった要素が大きいです。
同じような子育てをしていても不登校になる子とならない子がいて、
同じように学校に通っていても不登校になる子とならない子がいますからね。
だから、不登校自体は誰のせいでもないと信じています(いじめ等は別)。
だけど、そこから前を向いていけるかどうかは親の力や家庭環境が重要だと感じました。
不登校は親のせいじゃないけど、元気になるには親の影響が大きいってことですね。
とくに親との信頼関係がものすごく大切。
エネルギー回復の土台です。
親の顔色を伺っているうちは、なかなか元気にならないでしょう。
家で心から安心できるようになって、初めてエネルギー回復ができます。
- 小さいころからの過干渉の積み重ね
- 「◯◯しなさい」の押しつけ
- 思い通りにならないと無意識に不機嫌
- 無理やり連れて行く不登校初期の対応
などで信頼関係がガタガタだと、回復には時間がかかるかもしれません。
これを読んでいる人のなかには「すでにやってしまった…」と頭を抱えているお母さんお父さんもいると思います。
でも親だって不登校は初めてのこと。
そもそも対応に正解はありませんから。
そのときは情報もなく孤独のなか、必死に子どもと向き合っていたはず。
もう過去に戻ることはできませんから未来に目を向けていきましょう。
不登校は親のせいではありません。だから自分を責めないで。
子どもが自分の心を守るために
- 「学校に行けない」とサインを出してくれる素直な子に育ったこと
- 休む場所として家を選んでくれたこと
もっと自信をもってくださいね。
不登校の回復過程と親にできること・NG対応はこちら⬇︎
どうにかこうにか信頼関係を回復させるヒントはこちら⬇︎
完璧にやろうなんて思わず、肩の力をぬいて読んでいただけると嬉しいです。
誰かを責めるのはやめたほうがいいかも
明らかないじめ等がある場合をのぞいて、誰かを責めるのはやめましょう。
誰かのせいにすると心はラクですが、責めるだけではなにも解決しません。
「学校が悪い」「先生が悪い」「友達が悪い」と思うこともありますよね。
でも社会にはいろんな人がいます。
とんでもない人もたくさんいます。
社会を変えるのは大変なので、まずは自分が相性の悪い人から逃げたり、生きづらい環境から離れたりすることが大切です。
とくに学生のうちは逃げ場が少ないですから。
「逃げる」ってネガティブに聞こえますが、生きのびるための立派な方法だと思います。
- いつも逃げられるわけじゃない
- 甘ったれんな
とおっしゃる人もいるかもしれません。
たしかにそれはごもっともな意見。
また、お母さんお父さんが自分を責めるのもやめてほしいです。
「子育ての仕方が悪かったのではないか…」
というオーラが出ていると、子どもも後ろめたさを感じます。
親が自分のことを否定すると育てられた自分まで否定された気持ちに。
「どこで道を間違えたんだろう…」
なんて言われたらショックすぎます。
先ほども書きましたが、相当ひどい家庭環境ではない限り、親が直接の原因ということはありません。
学校の先生の子どもだって、精神科医の子どもだって不登校になっています。
超過干渉でヤバイ家庭でも元気に学校に行っている子はいます。
たとえ親に悪いところがあっても、自分を責めたところでなにも生まれませんからね。
後悔はほどほどに。
子どもが生きやすいコツを身につけたり、生きやすい環境を見つけたりするサポートをしてもらえたら嬉しいです。
【注意】子どもが答えた理由が本当の原因とは限らない
最後にひとつ注意点を書いておきます。
子どもが行き渋りを始めたり、学校に行けなくなったりすると、まずは
「どうして?」
「なんで行けないの?」
と質問しますよね。
すると、子どもは
「学校が…」「先生が…」「友達が…」「勉強が…」「体調が…」
と答えると思います。
(不登校の混乱期だと「ママのせい」「お前のせい」とか言うこともあるかも。)
多分どれも些細なことでしょう。
親からしたら
「えっ?そんなことで?」
と感じるかもしれません。
しかし、それは真の原因ではないことがほとんど。
あくまできっかけにすぎません。
不登校は複数の要因がグチャグチャになった糸のように複雑に絡み合って生じるため、本当の原因は子ども自身もわかっていないことが多いのです。
不登校は心という容器に小さなストレスが積み重なり、それが限界を迎えることで起こります。
コップから水があふれるイメージをしてもらえればわかりやすいでしょう。
子どもが答えた理由は、コップから水がこぼれる最後の一滴となったできごとだと考えてください。
まとめ:不登校はいつでも誰でも起こりうること
子どもが不登校になると
「どうしてうちの子が?」
「なんで?なんで?」
と困惑すると思いますが、まずは落ち着いて。
不登校はいつでも誰でも起きる可能性があることです。
原因を知りたい気持ちはわかりますが、不登校は複数の要因によって生じます。
原因だけにこだわるのはやめましょう。
子どもを否定せずに、いつも通りに接してもらえたら嬉しいなと思います。
しかし親だって人間。
イライラしたり信じられなくなったり嫌になったりもします。
- 頭ではわかっていても無理
- こんなのきれいごとだ
- できるわけない
- もう不登校の親なんて辞めたい
と投げ出したくなることもあると思います。
誰だって最初はうまくいかなくて当然です。
失敗するのも手探りになるのも当たり前です。
できない自分を否定する必要なんかありません。
いろんな葛藤や苦しみを乗り越えながら、少しずつ少しずつ前に進めばいい。
まずは子どものために、ここまで読んで勉強した自分を褒めてあげてくださいね。
最後にパナソニックグループの創業者、松下幸之助さんの『道をひらく』から人生の指針となっている一節を。
困っても困らない
ひろい世間である。長い人生である。その世間、その人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。程度の差こそあれだれにでもある。自分だけではない。
そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かがきまるといえる。困ったことだ、どうしよう、どうしようもない、そう考え出せば、心が次第にせまくなり、せっかくの出る知恵も出なくなる。今まで楽々と考えておったことでも、それがなかなか思いつかなくなってくるのである。とどのつまりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、不満で心が暗くなり、不平でわが身を傷つける。
断じて行なえば、鬼人でもこれを避けるという。困難を困難とせず、思いを新たに、決意をかたく歩めば、困難がかえって飛躍の土台石となるのである。要は考え方である。決意である。困っても困らないことである。
人間の心というものは、孫悟空の如意棒のように、まことに伸縮自在である。その自在な心で、困難なときにこそ、かえってみずからの夢を開拓するという力強い道を歩みたい。
松下幸之助(1968)「道をひらく」株式会社PHP研究所 p.112-113
この記事が少しでもあなたのお役に立てれば嬉しいです。最後までご覧いただきありがとうございました。