こんにちは、ゆずです。
不登校のときって、とにかくストレスがたまりますよね。
学校に行くの行かないの
起こしてって言うから起こしたんだけど
こっちも忙しいんだけど
わが家も最初はそうでした。
でも、このままじゃ埒があかない。親と話すのが怖くなり、信頼関係が崩れるだけ。
そこで前もってルールを決めておくことにしたんです。
そうしたらママもわたしもストレスフリー。
お互いにかなり楽になりました。
今回はルールを決めることで不登校中のストレスを減らせた話をしていきます。
- 不登校時代はルールを決めることでストレスが軽減した
- 合理的に話し合うことで余計なエネルギーを消耗しなくて済んだ
- 安心感が生まれて親子のコミュニケーションが円滑になった
不登校のときはルールを決めることでストレスが減った
以下の話は、中学時代のことです。
わたしは不登校になったとき、矛盾した行動が増えました。
- 7時に起こしてとお願いしたけど起こされるとイライラする
- 学校行きたいって言ったけど起きられない
- テスト受けるって言ったけど勉強できない
現状をどうにかしたい気持ちはあるものの、意識と無意識のあいだにはギャップがあるので、なかなか思い通りにいきません。
ちなみに、わが家は最初から「行けないなら別に休んでもいい」という方針でした。
キツイなら早く休んじゃえとも言われました。
しかし、ママとしても子どもが「〜したい」「〜して」と言っているので無視するわけにもいかず…。
わたしの言葉に振り回されて、忙しい朝の時間にイライラモードだったんです。
1ヶ月このような日々を繰り返していても進展なし。お互いにストレスがたまるだけ。
そこで、話し合ってルールを決めることにしました。
- 朝の声かけは2回まで
- 2回目は7時15分に
- 部屋の外から呼びかけるだけ
- 7時半までに起きられなかったら欠席
- 火曜日まで行けなかったら今週は休み
- 今日から2週間は欠席する、ご飯はなるべく一緒に食べる
- 今日から1週間は勉強しない、その代わりしっかり休む
- 体調不良で休んでいるから、昼間はスマホをやりすぎないように
- きちっと病院(漢方内科)にも行く
- 学校や習いごとは行くときだけ連絡
など
これが大正解。
ママもわたしもめちゃくちゃストレスが減りました。
7時半ごろには学校に行かないことが決定するからホッとするし、ママもバタバタ準備する必要がありません。
無理やり起こすこともないから、わたしがママに八つ当たりすることもなくなりました。
そして、毎日毎日
- 起きるか起きないか
- 行くか行かないか
- 勉強するかしないか
みたいな選択をしないので、余計なエネルギーも消費しません。
欠席が確定しているからホッとした気持ちで一緒に朝ごはんを食べたり、雑談をしたり、不登校の解決に向けて会話ができたり。
安心感のある関係を築けたんです。
ママにも余裕が生まれるのでメリットがいっぱいなんですよね。
もちろん不安はありました。
欠席すれば高校の選択肢も狭くなるだろうし、勉強の遅れがあとに響くかもしれない。
それでも、不登校は心が限界。
目には見えないけど風邪を引いているときと同じだからしっかり休もうと二人で決心しました。
学校に行かないなら、しっかり休むこと。
スマホやゲームは疲れてしまうので、昼間はなるべくNGっていうルールつきで。
その結果、2ヶ月ほどで元気に生活できるようになったんです。
そして過敏性腸症候群をどうにかしたいと話し合い、病院へ行き、万が一のためにお腹の薬をゲットする。
その薬がお守りがわりとなり不安が減る。
勉強に遅れて焦りや罪悪感が出ないように、おうちでは通信教育を活用してできる範囲で学びを続ける。
いつでも休めるような安心感と信頼関係のもとで、ママから
今日は4時間だし頑張ってくれば?
何かあったらすぐに保健室に行きなね
辛かったらいつでも早退しなね
と言ってもらえるとスッと学校へ行けました。
不登校のときは「減点法」ではなく「加点法」で考えていくことが大切。
学校に行くことを前提として
「今日も学校に行けなかった…」
とマイナスばかり積み重ねていくと、やがて心がポッキリと折れてしまいます(学習性無力感)。
学校に行かないことを前提として、そこからすべての物事を「◯◯できた!」と加点していくこと。
これがわたしのエネルギー回復の鍵でした。
合理的に話し合うことが大切だった
わが家の場合、
- 起きられないならどうするか?
- 学校に行けないなら今はどうするか?
などを合理的に話し合うことで前に進めました。
普段は不真面目なママですが、話し合いのときは毅然とした態度で接してくれて嬉しかったです。
「行く行かない」を親の顔色ではなく、自分自身で決定すること。
自分で決める感覚と結果の引き受けも、自己肯定感?自己効力感?的なものを育むのに大事だったなと感じています。
まあそうはいっても、学校に行かないことを受け入れるって難しいですよね。
でも、そんなときこそ心とからだの声に耳をかたむけてほしいです。
心が悲鳴をあげているのに無理してもいいことはありません。
風邪をひいて休むのと同じように、まずはしっかり休むことが早いエネルギー回復につながると思います。
まだ少し動ける状態のときは、学校に行けるのではないか…と希望を抱いてしまうでしょう。
初期のころは、
- 校門タッチだけでも…
- どうにか学校へ…
と思いがち。
しかし、校門タッチなどはほぼ意味がないと思っています。
それどころか不登校を長引かせるだけ。
わたしは校門タッチで、学校に行けるようになった人を知りません…。
学校と少しでもつながっていたい気持ちはわかりますが、それが本当に子どものためになるのか考えていただけると嬉しいです。
まとめ:不登校中のルールを決めたらエネルギー回復が早まった
- 不登校時代はルールを決めることでストレスが軽減した
- 合理的に話し合うことで余計なエネルギーを消耗しなくて済んだ
- 安心感が生まれて親子のコミュニケーションが円滑になった
不登校になったときは親も子どももパニックになるでしょう。
でも、よくよく考えてみると不登校の人はいっぱいいます。
それほど特別なことではありません。
そして元不登校の多くの人がきちんと自立しています。
ちょっと検索すればわかりますが、別に人生終わりではないですよね。
すこーし遠回りになるかもしれないけど、いくらでも道はあります。
人生なんて思い通りにいかなくて当たり前。
山あり谷あり、良いときもあれば悪いときもある。
もちろん不安ではあるけど、今感じている不安が一生続くってわけでもありません。
不登校って一大事だと思われがちですが、
- 心が疲れているなら今は休む
- 気質や体質的に学校がキツいのであれば別の生き方も考えてみる
それだけのことだと思います。
矛盾した言葉や八つ当たりは「ママ助けて〜」「不安だよ〜」の合図でしょう。
うわべの言葉だけに振り回されず、ルールを決めたり話し合ったりすること。
これが不登校を長引かせないために大切だった気がします。
最後に松下幸之助さんの『道をひらく』から、わたしが大切にしている一節をのせておきますね。
風が吹けば
風が吹けば波が立つ。波が立てば船も揺れる。揺れるよりも揺れないほうがよいけれど、風が強く波が大きければ、何万トンの船でも、ちょっと揺れないわけにはゆくまい。これを強いて止めようとすれば、かえってムリを生じる。ムリを通せば船がこわれる。揺れねばならぬときには揺れてもよかろう。これも一つの考え方。
大切なことは、うろたえないことである。あわてないことである。うろたえては、かえって針路を謝る。そして、沈めなくてよい船でも、沈めてしまう結果になりかねない。すべての人が冷静に、そして忠実にそれぞれの職務を果たせばよい。ここに全員の力強い協力が生まれてくるのである。
嵐のときほど、協力が尊ばれるときはない。うろたえては、この協力がこわされる。だから、揺れることを恐れるよりも、協力がこわされることを恐れたほうがいい。
人生は運不運の背中合わせといえる。いつ突如として嵐がおとずれるか、だれしも予期することはできない。
つねに自分のまわりを冷静にながめ、それぞれの心がまえを、しっかりと確かめておきたいものである。
松下幸之助(1968)「道をひらく」株式会社PHP研究所 p.84-85
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